WORK
Taiji Whale Lab. Competition

日本鯨類研究所太地支所

概要

場所:和歌山県太地町
種別:プロポーザル応募案
設計協力:久保田宗孝
構造:木村俊明(KKumA/京都大学)
設備:(株)環境エンジニアリング
ランドスケープ:(株)ヘッズ
設計:二〇一九年

二項対立

 人口わずか三千数百人ほどの小さな町であるにもかかわらず、太地町は捕鯨の町として世界的に知られている。件のドキュメンタリー映画さまさまである。そんな町に南極海や北西太平洋で調査捕鯨を行ってきた一般財団法人 日本鯨類研究所の支所をつくるというプロジェクトである。

 縁あってプロポーザルが公告される以前に太地町の基本構想を検案していたのだが、そのときのマスタープランに描かれていた青写真からはずいぶんと研究所の規模は大きくなっていた。さすがは自民党重鎮のお膝元。小さな商店に貼られた政治家のポスター。見慣れた顔が並ぶ。

 周知の通り、この小さな町では鯨/イルカをとり、食し、日常を過ごしているのだが――日本の水産技術は高い。それから比べるとこの町の鯨肉の処理、保管技術は著しく見劣りし、お世辞にも鯨の命を大切に頂いているとはいい難いことは一言しておく――漁の季節には、反捕鯨をアリバイに活動家を名乗る者たちが(世界中から)押し寄せる。互いの立場や意見の相違はいくつかのドキュメンタリー映画に描かれたとおりだ。

 とかくシニカルになりがちな私の設計だが、ここでは明るく、痛快な建築をつくりたいと思った。

鯨交(げいかい)

 二頭の鯨が仲睦まじく泳ぐ姿が、この建築のモティーフとなった。それぞれの鯨は互いに異なる個性をもっている。例えばそれは、太地の過去と現在、捕鯨の文化的側面と産業的側面、古式捕鯨と近代捕鯨、あるいは捕鯨国と反捕鯨国、相反するような事柄かもしれない。しかしそんな二頭が交わって新しいかたちを創り、未来へ向けて泳いでいく。それがこの「建築」の姿になった。

 鯨骨を連想させるアーチを横にふたつ重ねた。都合のいいことに、そこにはスパインが発生した(私はプランニングやゾーニングから設計を始めることが多いが、ここでは構造と造形が先行した)。二頭のスパイン(脊髄)から研究所施設のスパイン(主廊下)が生まれた。図らずも、太地町内に建つ恵比須神社の鯨骨鳥居を想起させた。

 古式捕鯨、大背美流れ、海外移民、近現代捕鯨を経てきた、太地をめぐる鯨と人の関係。「ここは、その太地と鯨の『歴史』と『未来』をつなぐ象徴的な道です」などと提案用紙に綴ったものの、果たしてそれはかくも楽観的な未来だろうか。

 この町は鯨を失うわけにはいかない。鯨を歴史という名の過去にしてはならない。縮小していく日本の人口の波間に、名も無い集落となりゆくほかない。アイデンティティーなり個性なり、そこにしかないものを失ったモノが生き延びられたのは二〇世紀だけなのだろう。(二〇二〇年六月一四日)